あれとか逸れとか

かわいいの基はかっこいいである

【備忘録】最近見た映画

 

 

最近見たもの。

すぐ忘れるので 。自分用。

 

 

 

見たもの(順不同)

 1.『たかが世界の終わり 映画『たかが世界の終わり』公式サイト

   :パンフの一文。君の視線と僕の視点。好きすぎて原作戯曲読んだ。

 2.『私はあなたのニグロではない 映画『私はあなたのニグロではない』 公式サイト

   :権利は「権利」である。

 3.『ナチュラル・ウーマン』 


  1. 映画『ナチュラルウーマン』予告

     :画面の鮮やかさと目の強さ、美しさ

     

 4.『フラメンコのはじまりの踊りのもの』本当にごめんなさいタイトルが思い出せない)

   :映画というより、なんだろう。不思議な感触。

 5.『悲しみに、こんにちは』 http://kana-shimi.com/

   :この間見た。音が耳に残る。彼女のピアスに反射する世界。

 6.『ウィンストン・チャーチル  ヒトラーから世界を救った男 http://www.churchill-movie.jp/

   :歴史も人の積み重ねなんだなあ。

 7.『ウイスキーと2人の花嫁 映画「ウイスキーと2人の花嫁」オフィシャルサイト

   :るんたった♪ ウイスキー飲めたらもっと楽しそう

 

 

 

 

見たかったはずなのに、見ていないもの

   映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』公式サイト|4月28日(土)公開

 

 

推しじゃないアイドルが卒業発表した ~好きってなんじゃらほい~

 

 

 

さて、私はライトオタクである。

さらに言うとハロープロジェクト所属8人組アイドルグループ「Juice=Juice(以下。ジュース)」のゆるふわオタクであり、推しメンはリーダーの宮崎由加ちゃんである。(サムネのお方)

 


Juice=Juice - SEXY SEXY (Close-Up Ver.)

 

どれだけジュースが最高で最強でかっこよくてかわいいかという話はまたいつかするとして、切羽詰まっている。切羽詰まっているという表現が適切か分からないが何かに焦っている。

(10月29日に日本武道館公演を成功させたよ。多分DVD出るからぜひチェックしてください*1

 

 

 

 

 

昨日(2018/11/3)、2期メンバーの梁川奈々美ちゃんがグループからの卒業と芸能界引退を発表した。

(ちなみに彼女は「カントリー・ガールズ」というグループと兼任している。カントリーも最強に愛くるしくて幸せな5人組グループ)


アプカミ ミュージックデリバリー カントリー・ガールズ 配信曲紹介

 

 

 

 

 

 

 

実は彼女について私が話せることはほとんどない。

カントリーの「やなふな」のときから知っていはいたけど。

初めはオタマロみたいで年齢のわりに如才ないトークかまして、ジュースに加入してからはリーダーを始めとするお姉さんたちとメキメキ成長している、くらいか。

 

 

 

 

 

だから彼女がどれだけ努力家で思慮深く、あらゆることに誠実である強さや多くの人から愛される愛嬌をもっているか、については彼女を、彼女たちをずっと見ていて豊富な語彙力を持っている方に譲るとして、ここでは私を揺さぶる焦りについて考えたい。*2

 

 

 

 

ここ一年ほどハロープロジェクト内で卒業を選択するアイドルが多い。

 

卒業するとは=アイドルでは無くなるということであり、当然ながらオタクはアイドルであるその人を応援することは出来なくなるということである。

俳優に、歌手にと次のステップを踏む者がいる一方で、卒業と同時に芸能界引退を選択する者も多い。

 

そうすれば当然応援するわけにはいかないし、ほとんど見る可能性もゼロである。

(当たり前だが、卒業を否定したいわけでも卒業を決意した彼女たちを責めたいわけでもない)

 

そもそも「卒業」という言葉があるように、アイドルはアイドルを「卒業」していく。アイドルとはそもそも限定的なものなのだ。

 

極めて学校の卒業式に似た構図で送る者と送られる者が対比され、卒業メンバーは残すものへと言葉をかけて舞台を降りる。

最近そんな場面を何度も目にしてきた気がする。

 

 

オタクにとって卒業とは次を見据えた彼女たちへの祝福や、これまでの感謝を伝える機会である(見えなくなるのは死ぬほどつらいけど)

当人からすれば未来への輝かしい一歩であろう(であってほしい)

 

 

卒業するアイドルが増えたのは、その分「次」を見つけやすくなったからとも考えられる。

 

傲慢にも「アイドルをするために人生を生きるのではなく、彼女たちの思う人生をいきるためにアイドルをしてほしい。」

なんて思っているんだったら、「卒業しやすい」アイドルはまさしくアイドルのためのアイドルなのではないか??

 

 

アンジュルムリーダー和田彩花さんの至言にあるように『グループ活動とは個人それぞれの人生をある程度否定すること』だ。

彼女たちが彼女たちの人生を生きることをどうしてオタク(ファン)が否定できるだろうか。

 

 

 

 

では、この焦りは何なのか。

結局のところ自分の【思い】の行き先が無くなることへの苛立ちに他ならないのではないか。

「あんなに応援してたのに」「まだまだこれからだったのに」...

 

 

どうやったってオタクは『好き』を伝えるしかできないし、それが役目でもある。

『好き』を示すために同じCDを箱で買って周りに布教したり、多くの現場に行って大声出してキンブレ振り回したり、握手しに遠征したりする。

最近はLive配信なんかでハートひとつ送るだけで『好き』と言える。

 

各々のオタクが出来得る方法でできる限りの『好き』を叫んでいる。

 

アイドルがアイドルでなくなることで、オタクは『好き』を吐き出す対象が無くなってしまう。

 彼女がアイドルという輝かしい舞台から降りることよりも、自分が『好き』を伝える相手がいなくなる方が辛くて、だからこんなにも卒業を悔やんでいるのではないか。

 

こんなことを一日ずっと考えていた。

 これまたなんと身勝手な焦り、という感しかない

 

どんなに言い逃れしたって、

彼女たちがアイドルを夢見ていようが何だろうがオタクは全くアイドルを消費ししていないとは言い切れないし、たまに『普通の高校生みたいなことはできなかったけど』なんて言葉を聞くたびに胸がぎゅっと締め付けられるようになる。

 

彼女たちにはいかなる時も幸せであってほしいし、やりたいようにしてほしい。

この言葉に嘘はないけど、大前提として、彼女らがアイドルであることを求めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

はぁ~~~~オタクって業の深いやつだなあ

 

 

「何かあったら責任とってくれるの!?!?!?」の巻

 

「もしなんかあったらあんたが責任とってくれるんでしょうね!?」

 

 

テレオペ経験者の皆さま、聞き慣れた言葉じゃございませんか?

たかだか3か月程度の受信テレオペバイトで何度この言葉を聞いたことか。

 

 

これに対して『「なんか」ってなんですか?定義は?仮に「何か」が起こって、責任とるって言ったって、私個人が関与していて、且つ原因であるという根拠はどうやって示すのか????』

と、「何時何分地球が何回回ったとき」みたいなことを考えながら神妙な声で「申し訳ございません」と謝罪を繰り返していた記憶。

 

 

 

~~(注)以下、数か月テレアポバイトをしていた者の偏見まみれ~~

 

あれって思うに「責任をとる方法を教えろ」とか「責任をとる約束をしろ」でも、ましてや「お宅が責任とれるんだったらこの件を了承してやる」でもないので、まともに言葉だけとらえて懇切丁寧に説明しても火に油だし

というか、自分の不満をぶちまけて言うことを聞かせようとしているだけで非論理的なことを言い続けて一方的に電話切るし。

 

 

本来個人vs企業という図式のところ、客vs個人(テレオペ)で話を進められるんだから

情報を聞き出して説得してできるだけいい条件を引き出す方が得策だと思うんだけど、、、という話はさておき

 

 

 

「何かあったら責任とってくれるの?」は

「仮に何か私(たち)に直接的・間接的影響があった場合、その被害を引き起こした張本人としてお前が賠償という形で私のいうことを全て聞いて金銭なりなんなり差し出すのか」ということだと思うんですね(意訳)(拡大解釈)

 

これへの返答って企業ごとに営業方法とか回答指針ががあると思うんですけど、共通しそうなところでいうと

①「何もない」ために活動方針があり対策が様々あって、その基で動いている

②何かあれば間違いなく企業として賠償は行う(だろう)

 しかし、何もない現段階ではその詳細等は答えようがない

 (大きい企業だと特に)ひとりひとりのお客様の要望に応えられるとは限らない

③業務委託やアルバイトも多いテレオペその人が言えることはせいぜいマニュアルにあること

 なのでテレオペの発言=企業の発言であり、個々人は企業の一員としてしか責任を取ることができない

④テレオペがその企業を司っているわけではないので、分からないことの方が多い

①~④までを踏まえて、お客様のご迷惑にならないようにこれこれこのような対策をしております、とかこれ以上は分かりかねますので担当から折り返し、、とか言ったところで話を聞く耳持ってくれないからどうしようもない。

 

 

それに、こんなこと理解していれば恫喝マシンガンはいないわけで、でも実際めんどくさい人はいるし、明日も電話は鳴る。

やはり「申し訳ございません」を連呼して電話切るのを待つしかないのか。

今度当たったら脳内にアンパンマンマーチでも流してみよう。

 

 

 

 

以上、素人の独り言

どうぞよしなに。